2012年4月20日金曜日

宇宙戦艦ヤマト2199 第1章を観て(1)

ヤマト2199を観て旧作にあった悲壮感、絶望感が薄れているように感じた一人です。
'74年版のヤマトのスタッフは、戦時中に少年期を過ごした方が参加しているし、従軍経験者がまだまだ多く存命だったことから、多くのスタッフが直接間接的に戦争体験を持てた世代でしょう。
そのことを考えると、旧作とヤマト2199を比較した時に感じる時代の空気感の差は、
「戦争体験がない人が作ったから、作品中の時代の空気が軽くなってしまうのは仕方がない」ことなのか?
しかし、実体験がないと作家が務まらないなら、推理小説家は殺人を犯さなければならなくなるし、SF作家は宇宙を経験しなければならないので、それは違うのだろう。
実体験があろうがなかろうが、結果的に、どれだけ「らしく」描けるか?ということだ。そして、時代の空気、人々の気分が其の作品にとって重要なら、作品中にその時代、社会を再構築してみせなければならないはず。
そのとき、自分が体験していない事柄や時代を観客が納得、理解できる形で描けたかは、作家がどれだけその時代について「勉強」「研究」したか、に尽きるだろう。
その時代の文物にふれ、同業者の過去の作品に触れることで、実体験の不足をどれだけ補ったか?ということだ。

確かに、ヤマト2199は メカのディテールも細かく描きこまれているし、戦闘シーンも迫力があるし、旧作で頻繁だった作画崩壊も見られない。かなり楽しめる作品に仕上がっているように思う。
しかし、旧作にあった悲壮感、絶望感の描写は不要とばかりに取り除く一方で、メカのディテール設定やアクションシーンには腐心し、女性キャラクターを追加するのはいいが、なぜかアホ毛や巨乳、パロディ(オマージュと呼ぶには品がないと感じる)やギャクシーンを散りばめるなど、疑問に感じる部分も多い。

数日前にも、ヤマト2199について書いたが、メカマニアのアニオタが自分の見たかったシーンをつなぎあわせた壮大なパロディを作っているように思えるのが、非常に残念である。

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