twitterで「地球はなぜ降伏しないか」という件について呟いたところ、
「最後まで戦っていたのが日本艦隊だったから」
「太平洋戦争末期の日本と同じで、降伏なんて選択しは最初から存在しなくて、
勝利か、然らずんば自決というのが、軍部の方針だったから」
という回答をいただきました。
それについて思うことを綴ってみたいとおもいます。
■前提として ~ 作戦指導と戦争指導
「最後まで戦っていたのが日本艦隊だったから」について
これが冥王星沖海戦についての意見であるなら、私は、冥王星沖海戦で地球艦隊がガミラスの降伏勧告をはねつけたことは、むしろ当然であると考えます。
それに日本でなくとも作戦中に会敵しただけで(戦闘開始前に)降伏勧告を受け入れるなら、
それは軍規上の大問題です。
もっとも、旧作の設定であるならば、地球艦隊の指揮官が日本人以外だった場合、損耗が2-3割に達した時点で作戦中止したかもしれないとも思います。
そういう意味では、私も旧日本軍が上級司令部より「撃ち方やめ」の命令がない限り、戦い抜く軍隊だったことは評価していいと考えています。
しかし。これは、命令を受ける側に対する評価です。
むしろ問題は、
・上級司令部が隷下部隊に対して、戦闘停止命令を適切に発出できるか?(作戦指導)
・戦争指導部が適切な時期に戦争終結(降伏)の決断をできるか?(戦争指導)
という点です。命令を下す側の評価です。
「受けた側」と「下す側」は別々に評価しなければなりません。
残念ながら、第2次大戦での日本の作戦指導については、褒められたものではなかったと思っています。
非常に残念なことです。
極端な例ですが、特攻など大西中将自身がいっているように「統率の外道」そのものです。
□戦争指導部とは しかし、本記事のテーマは作戦指導ではなく、地球の戦争指導についてです。
民主主義国家においては、文民統制・シビリアンコントロールが導入されていますから、戦争指導部とはすなわち政治(非常時にあっては、議会から大きな権限移譲を受けた政府)なのです。
戦闘停止命令が戦争指導部から発せられないかぎり、軍が戦い抜くことは当然であり、それが
あるべき姿だと私は考えますから、国連宇宙軍が日本艦隊を出撃させたことは当然(作戦自体の評価は別)です。
その軍に戦闘停止を命じるのは、あくまで戦争指導部です。
現代の日本人はどうも誤解している向きが多いように思いますが、民主主義国家においては、
戦争の開始と終結の判断は、軍部ではなく政治の役割です。先ほどのtwitterでの「軍部の方針」だったからといって、政治決定に反して勝手に戦争を継続することは許されません。
あるとすれば、それは、
・民主主義体制になく、軍が全件を掌握している。
・そして、軍自体が降伏するくらいなら地球人すべてが滅んだほうが良い、と考えるほどに
極端な思想に染まっている。
この2つの条件を充たすときのみです。
twitterのフォロワーさんの指摘にある「太平洋戦争末期の日本と同じで...軍部の方針だった」ですが、太平洋戦争末期の終戦をめぐる混乱は明治憲法下の日本故に生じた問題です。
立憲君主制でありながら、統帥権を独立させていたことにより、軍に対する政治の優位が機能しない国家体制だったという、開戦と終戦の決定を誰が(またはどの会議が)行うか明確でないという、特殊なケースです。また、軍部自体、明確な方針をもって戦争に望んでいたわけではありません。
とりあえず戦争に打って出ただけですので、終わらせるための条件がなかったのが実情です。
前述のように、現在の主要な国々は民主主義体制のもと文民統制・政治優位を制度化していますから開戦や終戦の決断は政治が行います。
私は、将来もまともな政軍関係(文民統制)を維持して欲しいと考えていますし、国家に反逆するような
恥さらしな国軍を持ちたいとも思いません。
一方では、別命がない場合、最後まで戦い抜くような軍律に厳しく、かつ旺盛な士気を持った軍であって欲しい。
そして、将兵を無駄死にさせない作戦指導を上級司令部には期待したい。
当然、ヤマト世界でもすべての人々が己の職責を果たすべく、全力を尽くしていると思いたい。
それでも、滅亡寸前に追い込まれているとしたら、それはなぜ?
■ヤマト世界での戦争指導部とは?
さて、戦争指導についての問いである、と書きましたがヤマト世界での戦争指導部とはいったい
何が相当するのでしょう?
22世紀においても国際連合が存在し、地球統一政府は存在していません(「さらば」でアンドロメダの進宙式に地球連邦初代大統領が臨席しています)。
2199では国連宇宙軍が編成されていますが、これは国連総会または国連安全保障理事会の決議をうけて司令部が設置され、指揮下部隊は各国からの派遣部隊からなる、ということになります。
ただし、国際連合憲章第7章に基づく正規の国際連合軍なのか、国連朝鮮派遣軍と同じ位置づけかは不明です。
国連宇宙軍に戦闘中止を命じることができるのは、安保理または国連総会決議ということになります。
ここでわかると思いますが、沖田指揮する艦隊は「日本艦隊」ではなく「国連宇宙軍艦隊」であって、たまたま日本国から提供された艦艇のみで編成されているわけです。国連軍に参加中は、当然国連軍の指揮下にあるわけです。言い換えると、安保理決議をうけて国連軍(この場合は国連宇宙軍)から戦闘中止を命令されることになります。
よって、「日本艦隊だから」戦い続けた、ということは成り立ちません。国連軍司令部、さらには安全保障理事会または総会で戦闘停止を決議しなかったということになります。
さて、そこまで考えてふと気づいたのですが、第2次大戦における、日本のポツダム宣言受諾の決定は言われるほど遅くはなかったのではないでしょうか?
第2次大戦の多くの参戦国が本土で地上戦を戦い、多くの市民が命を落としています。本土で地上戦を行わずに済んだのは、日英米くらいです。もちろん、陸続きの欧州、とくにドイツに攻め込まれた側は仕方がない部分もありますけど。