A7M2 「烈風」11型をつくる
旧LS製 1/144 烈風11型 |
■「烈風」とは?
「烈風」は、零戦に続く新型艦上戦闘機として、「十七試艦上戦闘機」として昭和17年4月に試作発注された機体です。零戦は「十二試艦上戦闘機」ですから、5年ぶりの新型艦上戦闘機開発ということになります。実は、「十六試艦上戦闘機」の試作内示が昭和15年末に三菱に対してなされていたのですが、この計画は結局中止され、改めて「十七試艦上戦闘機」として開発がスタートしたものです。
「烈風」には、「誉」装備のA7M1と 発動機をハ43に換装したA7M2の2タイプが試作され、あと図面のみの計画機が数タイプあります。
■開発経緯
17年4月の内示以降、三菱、空技廠間で意見交換の上、同年7月6日に計画要求書が交付されました。全文はググっていただくとして、ポイントは下記になると思います。
1.目 的 優秀なる艦上戦闘機を得るにあり
2.発動機 昭和18年3月までに審査合格のもの
3.最高速 345ノット/6000m
4.上昇力 6000mまで6分以内
5.航続力 正 規 最高速/0.5時間+250ノット/2.5時間
過荷重 最高速/0.5時間+250ノット/5.0時間
6.離陸滑走距離 過荷重にて合成風速12m/s時 80m以内
7.空戦性能 仮称零式二号艦上戦闘機程度より劣らざること
捕捉事項 翼面荷重150kg/m2 空戦フラップ使用時の相当翼面荷重120kg./m2程度となし極力空戦能力の向上を計ること
つまるところ、零戦に比べて大幅な速度・上昇力向上を満たせる大馬力エンジン、すなわち2000馬力クラス(零戦の栄12型で 1150馬力)の発動機(燃料消費が大きい)を搭載しながら、過荷重で250ノット/5.0時間(零戦は180ノット)を可能にする大量の燃料を搭載(やたらに重くなる)し、その上で合成風力12m/sで80m以内の滑走距離に収めなければならない(翼面積が大きくなる)。
燃費が悪い、かつ相対的に重くなったンジンを高出力でより長い時間回せる大量の燃料を搭載(また重くなる)することで機体が大型化し、そうすると重量増加分に対応した燃料が必要になり、短距離離陸するために翼面積を大きくすると、また機体が重くなり...という循環になったわけですね。
せめて、米空母のようにカタパルトが日本空母に装備されていれば、もう少し要求は緩和されたはずですが...
要求仕様をめぐる論争
発動機の選定
「十七試艦上戦闘機」の要求性能を実現するには、前述のように2000馬力級の高出力エンジンが必須ですが、要求仕様にある”昭和18年3月までに審査合格のもの”という条件を満たせるのは中島のNK9(NK9Bが1800馬力クラス。後の「誉」。十七試開発開始当初、耐久運転にも合格し開発完了間近)しかない状態でした。当然、空技廠は、「誉」の搭載を求めましたが、三菱はNK9では出力が不足しているとして、2200馬力級を目指して開発中の自社製MK9(ハ43)の採用を求めます。
結局、MK9の開発リスクや補給面を考慮し、NK9を推す発注側の主張が通ります。
翼面荷重をめぐる論争
さらに、三菱と空技廠の官民合同会議で、空技廠側から翼面荷重を130kg/m2を目標とするよう求められます。要求仕様は最後まで150kg/m2のままでしたが、結局、150kg/m2相当の主翼を装備した機体と、130kg/m2相当の主翼を装備した機体を試作し比較することになったようです。
しかし、結局、二種類開発する余力がなく、実際には130kg/m2タイプの機体のみ試作されました。
A7M1の評価と開発中止
昭和18年夏に採用された、新しい名称付与様式によって「十七試艦上戦闘機」から試製「烈風」と改称された「烈風」は、昭和19年4月に1号機が完成、5月6日に初飛行にたどり着きます。
ところが、その飛行性能は要求を大きく下回っており、関係者を失望させます。
最高速度は300-310ノット/6000m、上昇力は約10分/6000mに過ぎず、零戦52丙型と大差ない値でした。
原因は、A7M1に搭載した、NK9K(誉22型)が、NK9B(誉11型、離昇1800馬力)程度の性能しか発揮できていなかったことにありました。
三菱側は、性能不良の原因をNK9の出力不足にあるとして、最後は、ベンチテストまで実施して
MK9への換装を訴えますが、海軍側の動きは鈍く、遂に8月4日には 「烈風」開発中止の決定が下ります。これは、すでに戦況から艦上戦闘機の重要度が低下していたこと、テスト中の「紫電改」が
烈風より重武装にもかかわらず。50km/hも優速であったことから軍需省としては当然の判断だったでしょう。
しかし、同じ頃、空技廠から「高高度戦闘機改造案であるMK9B装備の「烈風改」用に設計資料を得る」、との名目でMK9Aへの換装が認められます。
A7M2の完成
MK9装備の機体は、A7M1 6号機に三菱が開発した陸軍向けキ83用発動機から排気タービンを取り外したものを搭載する形で実施され、昭和19年10月に機体完成、10月13日初飛行、21日に第二回社内試験飛行が行われ、ほぼ要求の満たす性能を発揮しました。
12月までのテストの結果、最高速度337ノット/5800m、上昇力6分5秒/6000mを記録します。
その後のテストを経て、20年6月、A7M2は甲戦として制式採用され、烈風11型と命名されました(もっとも、終戦間際の混乱で書類等残っていないため)。
結局、艦上戦闘機として試作開始した烈風は、母艦搭載装備をもたない甲戦として採用されました。
■試作状況
A7M1 NK9装備。当初、試作機12機を発注するも、その後8機に変更され、5機が完成。
A7M2 MK9装備。A7M1からの改造により3機が完成。量産型も完成間近で終戦。
製造番号 A7M1号機 完成時期 A7M2号機 完成時期 領収 備考
201 1号機 19.4 - 発動機焼損により放棄
302 2号機 19.5 3号機 20.5 20.5 コ-A7-3
角型水平尾翼装備
三沢疎開後、被爆
403 3号機 19.6-7 5号機 - - A7M3改造母機指定
504 4号機 19.6-7 4号機 - - 被爆未完成
605 5号機 19.7 2号機 20.1 20.2 コ-A7-2
三沢へ空輸中、不時着大破
706 6号機 - 1号機 19.9 - 発動機不調で領収されず
807 7号機 - 6号機 - 松本に疎開。進捗50%
908 8号機 - 7号機 - 松本に疎開。進捗50%
なお、三菱302号機(コ-A7-3)は、唯一、角型に整形された短縮形水平尾翼を装備していました。
■模型製作
□資料について
「烈風」の模型をつくろうとして、実はあまりよく調べてことがなく、また手元にロクに資料がないことに気付きました。そもそも、終戦間際の採用ということもあり、他の実戦参加機に比べると資料が残っていないかけですが...
なんといっても「世界の傑作機」シリーズにも本機単独では取り上げられていないくらいですから。
で、とりあえず2冊ほど資料本を入手して参考にしました。
◇参考にした資料
スーパー・ゼロ戦 「烈風」図鑑 光人社
[歴史群像]太平洋戦史シリーズ40 烈風と烈風改 学研
□キットの製作にあったて
今回製作したキットは、旧LS製 1/144のものです。「雷電」と二機セットで販売されていたパッケージです。
機体形状は、通常型の水平尾翼とカウリング下部のオイルクーラーからA7M2 「烈風」11型の3号機以外のいずれかとなります。
翼内銃の銃身が端折られて、主翼前縁中央に開口部のモールドがありますから、まるで終戦により武装解除したあとの、”あの”写真(三沢で撮影された、コ-A7-3の写真)のようです。本来は、20mm機銃は、前縁から銃身が突出しています。
で、翼内銃ですが、「雷電」は内側銃のほうが長いのですが、「烈風」は内側銃、外側銃ともに
九九式20mm二号機銃四型 を装備しているのですが、元々外側に13mm銃を装備する予定だったためか、外側銃の方が取付部が前側のようで、銃身の突出長も外側の方がながくなっています。
そこで、今回は 未成に終わった 三菱807号機(A7M2 6号機)として製作することにしました。
改造ポイントは以下です。
・20mmx4装備とする。
・翼内銃は、仰角3度の状態にするため、「雷電」のようにフェアリングを追加する
・旧LSの主脚は、カバー、脚柱、タイヤが一体になっており、見た目があんまりなので、カバーを薄く削り多少らしさを出す。
・A7M2 6号機以降は、機種下面のオイルクーラが大型化されていたようなので、高さ方向に拡大。
塗装は、空技廠の試作機も、戦争後半は実用機と同じように、上面は濃緑色、下面は 明灰白色になっています。ハ45(誉)装備の試製烈風は 明橙色でしたが、烈風11型は、上面濃緑色です。
ただ、今回は、下面は無塗装銀にしています。理由は、紫電改や流星改では、下面は無塗装にされていたことから、コ-A7-6の頃には試作機も下面塗装を省略されたかもなぁ~、という勝手な推測によります。
A7M2 6号機 「コ-A7-6」 |
主脚カバーを薄くして少しでも”それらしく”しようとしたのですが... |
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