2013年9月23日月曜日
2013年9月15日日曜日
1/144 艦上偵察機「彩雲」を作る 343空 偵4
艦上偵察機「彩雲」11型 343空 偵4(高田少尉機) を作る
2005年にバンダイから発売された、ウイングクラブコレクションL2の一品。
有名な偵11のZ旗付きにしようかと思いましたが、39年ぶりにリメイクされたヤマトにハマっていたので、ヤマト2199にちなんだ機体にしました。
2199で登場する女性搭乗員、山本玲三尉の兄、明生が所属していた部隊が343航空団 4偵(第4偵察飛行隊?)という設定です。その時のコールサインが「ソード・スリー」。
ここまで書けばお解りでしょう。
上記設定の元になったのは 第343海軍航空隊(剣部隊) 偵察第4飛行隊(偵4 奇兵隊)です。
343空は、源田実大佐が発案し、自ら司令を勤めました。
部隊は、「紫電」「紫電改」装備の戦闘飛行隊3個(後に4個に増勢)と「彩雲」装備の偵察飛行隊1個で編制され、戦争末期に活躍したことで知られています。初陣となった、昭和20年3月19日の米海軍による呉空襲では、米艦上機160機に対し紫電7機、紫電改56機で迎撃し、米軍機58機撃墜(戦闘機47、対空砲による戦闘機5、爆撃機4、計57機)という戦果を報じています。
このとき活躍したのが偵4の彩雲(高田満少尉機)です。高田機はこの日、他の2機とともに米艦隊の索敵に出撃、見事に発見します。米艦隊の位置を通報した後、発動機不調により帰還の途についた高田少尉機は、さらに米軍攻撃隊を捕捉、敵情を刻々と通報しますが、ついに戦闘機に補足され空戦、被弾。ついに敵機に突入、自爆し壮烈な最期を遂げました。
戦後、地上で高田機の最期を目撃した人々の手により、墜落現場である高知県高岡郡東津野村に「三魂之塔」という慰霊塔が建立されたそうです。
■製 作
このキットの付属デカールは下記7機。
762空 762-34 彩雲11型 偵11
横須賀空 ヨD-232
121空 21-103 試製彩雲 増加試作型
343空 343-05 彩雲11型 偵4
752空 752-52 彩雲11型 偵12?偵102?
752-13 彩雲11型 偵12?偵10 2?
141空 141-35 彩雲11型 偵3?偵4?偵102?偵1 2?
今回製作したい高田少尉機の機番、塗装を調べたところ、2013年7月発売のハセガワ1/48「中島 C6N1 艦上偵察機 彩雲 `第343航空隊`」に高田少尉機用のデカール、塗装図がありました。
こちらのキットによると 機番343-04のようです。
キット付属のものを切り貼りしてなんとかなりました。
塗装は、彩雲の基本塗装のままですが、スピナーの先端をホワイトに修正しました。
ディテールアップは、
・偵察席と電信席の間に、一式空三号無線帰投方位測定機用の枠型空中線(Ω型のアンテナ) 追加
・電信席に 一式7.9mm旋回機銃を追加
デカールは、キット付属のものと、「アシタのデカール」を一部利用。
■完 成
艦上偵察機「彩雲」11型 343空 偵4(高田少尉機) 昭和20年3月
高田 満少尉(偵察・機長)
遠藤 稔上飛曹(操縦)
影浦 博上飛曹(電信)
彩雲11型を右前方より。離陸のためタキシング中の姿。偵察員は座席に立って誘導をしています。
彩雲11型を右方より。
彩雲11型を右前方より。
彩雲11型を左前方より。
彩雲11型を左方より。
彩雲11型を左後上方より。
彩雲11型を右後上方より。
2013年9月3日火曜日
1/144 局地戦闘機「雷電」21型をつくる(2)
フジミの1/144 雷電の機銃、ピトー管はキットのままではちょっと(^^;なので、カットして洋白線でナンチャッテ自作してみました。
キットと自作後の比較が次の写真です。
| フジミ 1/144 雷電の主翼。成型色こそ違いますが、同じキットのもの。 |
| こちらは、銃身・ピトー管を洋白線に交換したあと。 |
こちらは主翼下面の比較。
キットでは、20mm機銃の取り付け基部を覆うバルジが省略されていますので、パテで作成。
| フジミ 1/144雷電の主翼。バルジなし。 |
| フジミ 1/144雷電の主翼にバルジを追加 |
このキットの残念な点として主脚の形状も。
キットのままで次の写真。カバーとタイヤ、脚柱が一体。
| フジミ 1/144雷電の主脚。 |
そこで、カバー部分を削りとって、改めて 飛行中再現用の脚カバーを接着してみました。
主脚基部覆もプラ板。
1/144 雷電21型の主脚
| 分かりづらいですが、主脚とカバーが別パーツになっています。 |
最後に、操縦席に簡単なディテールアップを。
計器盤の上部に射爆照準器に見立てて、プラ版。反射ガラスは省略。
小さすぎた座席は背もたれ部分だけ大型化。
シート後方に ヘッドレストとロールバー及び補強材、その下に三式空一号無線機を作ってみました。
1/144 雷電21型の操縦席
| ヘッドレスト、ロールバー、ロールバー補強材など追加。 補強材には肉抜き穴も。 |
完成した姿。
局地戦闘機「雷電」21型 フジミ 1/144
第352海軍航空隊 青木義博中尉機(昭和20年3月 大村基地)
第352海軍航空隊 青木義博中尉機(昭和20年3月 大村基地)
雷電ではもっとも有名な機体ですね。
352空は、佐世保軍港を始めとした北九州地区の防空に任についた部隊。
青木中尉は、予備学生出身で乙戦闘機隊の分隊長を務めました。
デカールは、「アシタのデカール」の「龍巻部隊」を使用しました。
なお、機体の給油時をのぞいて 増槽は装備しなかったらしいので、懸吊させていません。
1/144 雷電21型 右前方より
主翼前縁、下面のバルジを追加。
2013年8月11日日曜日
1/144 局地戦闘機「雷電」21型をつくる
フジミの1/144キット「鍾馗・雷電2」、2in1キットから局地戦闘機「雷電」21型を製作します。
局地戦闘機「雷電」は、零式艦上戦闘機の設計者、堀越二郎さんが設計主務者を務めた海軍の防空戦闘機。要求性能を満たすため爆撃機用大馬力エンジン「火星」を採用したため独特の形状になりました。
局地戦闘機「雷電」の各型は下記ですが、主力生産型は21型です。
14試局地戦闘機 J2M1
雷電11型 J2M2
雷電21型 J2M3
雷電32型 J2M4 排気タービン装備型。テストのみ
雷電33型 J2M5
雷電31型 J2M6
パッケージ
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| フジミ 1/144キット「鍾馗・雷電2」 右下の囲み絵が雷電です。 |
キットの組立説明にも塗装指示がありますが、他メーカーのキットの説明も睨みつつオレ雷電にしようと思います。
参考資料は、毎度おなじみ、「世界の傑作機No.60『海軍局地戦闘機「雷電」』」です。
このフジミの雷電 1/144のキットでは、推力式排気管が省略されていますので、自作します。
ピンバイスで穴をあけて、ペンチで潰したアルミ管を接着してみました。
| こちらは フジミ 1/144 雷電の胴体。成型色違いの同社キットの写真。 |
カウルフラップの境目を開口、アルミ製自作排気管を接着した姿が 次の2枚。
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| 雷電 1/144 左側面 |
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| 雷電 1/144 右側面 |
次に、主翼の20mm機銃とピトー管も改造します。
今回製作するのは雷電21型ですので、主翼の20mm機銃 4門を装備しています。
内側が長銃身の99式20mm 2号4型、外側が銃身が短い99式20mm 1号4型です。
ところが、キットでは、内側の長銃身のみ再現され、外側は省略。また、銃身が主翼前面から突き出している部分の涙滴型カバーもありません。
また、銃身自身も太すぎるようです。
そこで、キットの銃身を切り取り、0.4mm洋白線に変えてみました。
銃身付け根は瞬間接着剤でカバーの膨らみを表現してみます。
2013年8月5日月曜日
1/144 F-4J VF-84を作る(2)
F-toysの食玩 1/144 F-4J、スキマをパテで埋めてみました。
あと、エアインテークからエンジンにかけての肩部のグレー塗装、CV-62 インデペンデンス搭載時代のVF-84ではなかったようなので、グレーFS16440で上塗り。
塗装が終わった後気づいたが、このキット、USSルーズベルト搭載時のものだった。じゃあ、元のままで良かったんじゃ?
気を取り直して、一応、完成に近づいた状態。
Century Wings製 MD-3 Towing Tractor を配して、ジオラマ風。
中高生の頃、米空軍のF-4E、空自のF-4EJは1/72で製作したことがありましたが、海軍型は
実ははじめて。
1/144 F-4J USSルーズベルト搭載 VF-84“ジョリーロジャース”CAG機「AE200」(1972年)
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| 1/144 F-4J、VF-84。左前方より。 |
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| 1/144 F-4J、VF-84。右前方より。 |
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| 1/144 F-4J、VF-84。左後方より。 |
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| 1/144 F-4J、VF-84。左前方より。 |
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| 1/144 F-4J、VF-84。左前方より。 |
これからの予定。
600galセンタータンクとAIM-9、Mk.82あたりを搭載しようかと思っています。
2013年8月2日金曜日
「戦艦vs飛行機」の比較では戦艦の負け、って正しいのか?
戦艦大和の悲劇を語るときなどに良く言われる、「戦艦vs飛行機」の比較で戦艦の負け、ってのはおかしい。
なぜなら、一対一なら負けることはないから。
航空攻撃は多数機で行うものだ、と反論されそうだが、それをいうなら戦艦も単艦では行動しないのである。
ということは、「戦艦vs飛行機」という比較自体に無理があるということだ。
第二次大戦後半以降、海軍戦力の柱が戦艦から空母(と搭載される航空戦力)に変化したのは、限られた予算で戦力を整備するなら多目的に使用でき、戦艦より広範囲を制圧できる、空母(と搭載される航空戦力)の方が効果的であるからであって、前述したように、「戦艦vs飛行機」の比較で飛行機が優位だから、というわけではない。
大体、水上艦隊は航空攻撃に対して巷で言われるほど、弱いのだろうか?
たとえば、米艦に対して、著しく防空力が劣る日本艦隊にしても航空攻撃による被害は思ったほど多くない。
マリアナ沖海戦(1944.06.19-20)での、米母艦航空隊216機による航空攻撃(6.20)による我が艦隊の被害は
沈没:空母1/油槽船2
中破:空母1
小破:空母3/戦艦1/重巡1/油槽船1
米攻撃隊の戦闘損失 約20機(帰還時の事故で約80機の損失)
この海戦での、日本側被害の重要な点は、むしろ参加母艦航空兵力の3/4以上となる378機もの航空機の損失である。艦は残ったが攻撃力の中心である母艦航空隊が壊滅、二度と再建できなかったことが重要なのである。
母艦航空戦力の喪失は、すなわち米艦隊に対する攻撃力の喪失を意味するからだ。
水上砲戦部隊では空母任務群を補足することは実質不可能であることを思い出してもらいたい。
もっとも、この時期、洋上行動中の米艦隊を航空攻撃しても戦果は望めないが。
なお、この母艦航空隊の損害の大部分は 米戦闘機によるものであり、飛行機の最大の敵は飛行機だったことになるが、航空機の傘が無い艦隊は生き残れないわけではないのは先に上げたとおり。
水上艦隊が航空攻撃に思いの外耐えたことを示す例として、日本側にまったくエアカバーがなかったシブヤン海海戦をあげてみよう。
この海戦でも 5次にわたる、のべ256機の攻撃による我が艦隊の損害は、
沈没:戦艦1
中破:重巡1/駆逐艦1
小破:戦艦3/重巡1/駆逐艦1
にすぎないのである。
これらの海戦で、もし、日本艦隊の対空火力(砲とVT信管、高射装置)が米艦隊並だったらどうだったろう?
さらに被害は極限されていたはず。ひょっとすると、喪失艦はなかったかもしれない。
一方、日本艦の防空能力が米艦なみだったなら、米空母任務群も我が軍同様、早期に攻撃能力を消失したのではなかろうか?
結局、日本海軍が艦隊戦において米海軍に敗れたのは、戦艦中心だったからではなく、艦隊防空能力がお粗末だった、と評価すべきなのだ。
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